ポメラニアンアウトプッツ

ポメラを使っていろいろ書くブログ。だいたい愚痴

新日本プロレスブームが来ている、我が家に

我が家には現在、空前の新日本プロレスブームが到来している。そのきっかけはAmazonプライムビデオでやっていた「有田と週刊プロレスと」という番組だ。残念ながら現在放送が終了しているのだが、続編の制作を妻と心から望んでいるため、少しでも視聴者の声よ届け! という想いで筆を執っている次第である。

というわけで、「有田と週刊プロレスと」がいかに素晴らしい番組であったか。そして、いかに私と妻がそのおかげで新日本プロレスリングの素晴らしさに気づいたのかということをとうとうと語っていこうと思う。長いかもしれないが、めちゃくちゃ暇な人は読んでみてほしい。 本当に長いので注意してほしい。

2016年、夏

我が家では動画ストリーミングサービスとしてHuluを採用していた。なんのことはない。2週間無料のキャンペーンが嬉しすぎてつい登録してしまっただけのことである。加えて、イギリスのドラマ「シャーロック」が見たかったということも付け加えておこう。

そんななか、あるときAmazonプライムビデオのオリジナルコンテンツの魅力に気づいた(そもそもAmazonプライムには加入していたのだ)。たしか「バチェラージャパン」か「ドキュメンタル」かのいずれかを観たのがきっかけだったと思う。そこで「実はHuluよりAmazonなんじゃね?」ということに気がついた。

そこからは、Amazonプライムビデオのオリジナルコンテンツを貪るように観ていったと記憶している。そして私が非常に気に入ったのが、冒頭にもある「有田と週刊プロレスと」だった。

妻が長年抱えていたプロレスと長渕へのコンプレックス

私はさっそく妻に「有田と週刊プロレスと」の魅力を伝えることにした。その理由について説明しよう。

「お笑い芸人さんがプロレスの話題をしているときに、その面白さを理解できないのが辛い」

妻は以前から、こうしたことをよく口にしていた。たとえば「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」(すでに終了している)では、定期的にプロレス談義が繰り広げられていた。話芸に長けたふたりである。雰囲気では笑うことはできた。しかし、基礎知識の乏しさから、本心から笑うことはできていない。そのことが、彼女にとってコンプレックスになっていたのだという。

なお、コンプレックスはプロレスだけではない。長渕剛に関しても同様だという。私自身は高校時代、アニキの熱心なリスナーであったため、長渕剛に関する笑いどころは熟知している。「アメトーーク」で後藤輝基氏(フットボールアワー)が展開する長渕ネタも、腹を抱えて笑うことができるのだ。しかし、妻はその面白さが雰囲気でしかわからない。そのことに思い悩む日々を送っていたのだという。

※ちなみに、このことを昨年の年末、仕事上の知人に相談すると「それは奥さん、ただのくりぃむしちゅーファンなだけだわ」と一笑に付された。

私は妻を愛している。彼女にはいつも心から笑っていて欲しいし、彼女の悩みを払拭するのはいつだって自分でありたいと思っている。だから、「有田と週刊プロレスと」を見つけたとき、真っ先に妻の顔が思い浮かんだのだ。

妻の笑顔とAmazonプライムビデオと

「有田と週刊プロレスと」を観た妻は、それから暇を見つける度に番組視聴に没頭した。私も同時進行で観ていたのだが、彼女の熱量には敵わなかった。とにかく、自分がこれまでコンプレックスとして抱えていた“プロレス”というジャンルに対し、知識がインプットされていくのが楽しかったのだろう。気がつけばファーストシーズンをすべて見終わり、当時放送中であったセカンドシーズンをリアルタイムで追いかけるまでになった。

と、前段はここまで。本題である「有田と週刊プロレスと」の素晴らしさについて言及していこう。百聞は一見にしかず。本来はぜひとも読者諸君に今すぐ観てもらいたいのだが、そうもいかない事情もあるだろう。できるだけわかりやすくレコメンドができればと思うので、お付き合いいただきたい。

有田哲平という優れた伝道師

私が今さら言うまでもなく、くりいむしちゅー有田哲平氏は日本最高峰のコメディアンである。そしてそれは、一流のスピーカー(話者)であることと同義だ。彼が切手のコレクターだとして、「有田と切手コレクションと」という番組をしていたとしても、おそらく楽しく視聴できるだろう。話術の巧みさたるや。彼の天才的な才覚にただただ驚かされる。

聞き手役の素晴らしさ

話し手、有田哲平の凄さに加えて、「プロレスを知らない」という立場で番組を盛り上げるゲストの力量もこの番組では際立つ。特に、去年アメリカへの移住を実行に移した綾部氏(ピース)の”聞き力”は素晴らしい。プロレスを知らない私たちが気になることへの言及や新鮮味のあるリアクション、そしてユーモア溢れる例え。こうした聞き手(ゲスト)を用意できたのも、「有田と週刊プロレスと」を面白くした要素のひとつであると言えるだろう。

プロレスという大河ドラマの魅力

さて、次に番組内容についても触れていこうと思う。まず私が心を奪われたのは、プロレスの歴史と背景だ。力道山先生が興した日本プロレスアントニオ猪木ジャイアント馬場が引き継ぐ。そこから長州力天龍源一郎をはじめとするスターが登場し、いかに昭和プロレスが盛り上がっていったのかが番組では紹介されていく。

プロレスについて何も知らなかった私でもスッと頭に入り、さらにはクスッと笑えるエピソードも交えられながら解説がなされていく。気づけば、いかにプロレスが魅力的なスポーツであるか理解できる。これはすでに、教養番組の類いと言ってよいだろう。

なお、個人的にはUWF新日本プロレスとの抗争が非常に興味深かった。その後訪れる総合格闘技の波と、衰退し冬の時代を迎える新日本プロレス。こうした歴史的背景を知ることこそが、プロレスを楽しむ上では重要である。「有田と週刊プロレスと」は、その入り口として圧倒的に適した番組と言えるだろう。

選手それぞれの持つ涙を誘うストーリー

プロレスの魅力は歴史にあると先述したが、それは業界・団体だけでなく、それぞれの選手にも同じことが言える。たとえば天龍源一郎。※アドリブで書くから間違いも多いかもしれない、ご勘弁を。彼は波瀾万丈な現役時代を送ったレスラーのひとりなのだとか。新日本や全日本だけでなく、メガネスーパー主催のSWSなど、いくつもの団体を渡り歩いている。その中で数々のドラマを巻き起こしてきた。

そんな彼の最後の試合。対戦相手はオカダ・カズチカである。さらっと書いたが、これはとんでもないことだ。新日本プロレスの最上位とも言われるIWGPヘビーの現チャンピオン。それがオカダ・カズチカである。当時まだ20代後半の彼に立ち向かう天龍源一郎はなんと60代。最後の最後まで、最強に立ち向かうその姿は多くの人に勇気を与えただろう。

多くのスターレスラーは、こうしたドラマティックな来歴を持っている。それをファンの立場で語る有田哲平の熱。気づけば涙が止まらない--そんな回も多々あった。

人に話したくなるし、もっと知りたくなる

有田氏の話は、収録のその日になんとアドリブで展開される。事前準備などは一切ない。これは、スケジュールの厳しい有田氏が週レギュラー番組をすることや、あえて下調べをしないことでプロレスマニアからの言及をかわすことが目的なのではないかと思っている。そのため、有田氏も時には間違った情報を伝えることがある(テロップで補足・訂正がなされるので問題はなし)。にもかかわらずだ。彼の話す内容は、ほぼ毎回と言っていいほど笑えて感心できてタメになる。そして番組を見終わった後、いつもこう思うのだ。

「ああ、誰かとこの話題について話したい」

まさに話芸ここに極まりである。こうした感情を視聴者に抱かせられる有田氏のすごさというのは、やはり番組を見ていただくよりほか表現のしようがない。と同時に、その題材である新日本プロレスという大河の広さ・深さ・長さに感銘を受ける。気がつくと私は、もっとプロレスを知りたいというモチベーションに支配されていた。

妻が1.4に行く理由

さて、そんなこんなで「有田と週刊プロレスと」にすっかりハマってしまった私の興味は、当然次の段階へと進む。実際のプロレスの試合動画を観たいという欲求だ。情報だけでプロレスファンになれるわけもない。レスラーがどのように技を競い合い、気持ちをぶつけ合っているのか? そこにはどのようなドラマが生まれるのか? そして、それを観たときに、自分はどれだけ楽しめるのかを確かめる必要があった。

しかし、YouTubeなどでプロレスの試合を捜しても実はあまり見つからない。後で知ることだが、新日本プロレスの試合をじっくり楽しみたいのであれば、月額999円(税込)で見放題となる「新日本プロレスワールド」なるサイトへ入会するのがセオリーなのである。そのことを知らない私は、結局ろくに試合も観れないまま、少しだけテンションが落ちていたようにも思える。

そんな時だ。妻が「1.4に行われる東京ドーム公演に行きたい」と言い出したのは。

棚橋弘至と博多大吉と

妻が突然こんなことを言い出したのは理由があった。それを語るうえで、彼女が熱心なラジオリスナーであることを先に紹介しておく必要がある。

妻にとってラジオは古い友人であり心のオアシスであり、そして人生で大事なことを教えてくれる師である。学生時代からオールナイトニッポンを聴き始め、本州に引っ越してきてからは「岡村隆史オールナイトニッポン」のイベントに参加するために、横浜アリーナまで足を運ぶ始末だ。なお、私自身も彼女の影響でラジオをこよなく愛聴するようになった人間のひとりである。

そんな彼女は、仕事中にラジオを流す習慣がある。とくにTBSラジオ「たまむすび」がお気に入りだそうだ。ご存じの方もいるかと思うが、この番組の週替わりMCには、南海キャンディーズの山里氏や電気グルーヴの瀧氏など、実はそうそうたるメンツが名を連ねている。そしてそのうちの一人である博多大吉氏の回のとき、きっかけは訪れた。

その日、ラジオから聞こえてきた声に妻の耳は奪われた。その声の主とは、新日本プロレス冬の時代の立役者にして今なおACEとして活躍、さらには今秋公開予定の映画「パパはわるものチャンピオン」で主演を務めたレスラー、棚橋弘至、その人である。彼はリスナーに向かって、おおまかに言うとこんな内容を訴えていたそうだ。

「プロレスを観るのには何の準備もいりません。来てくれるだけで絶対に楽しませます。ぜひ僕を見に来てください」

プロレスの知識は「有田と週刊プロレスと」で得たものしかない。でも、だんだん興味を持ち始めている。そんな妻の心に、棚橋弘至のこの言葉は刺さった。加えて、こんな言葉も後押しになったという。

「東京ドームは広いですけど、大きなスクリーンもありますし、後ろの席でも十分楽しめますよ」

プロレスのチケットは正直高い。最前列をとろうとすれば、福沢諭吉を数名献上する気概が必要である。しかし、もっとも安い座席であれば実は4,500円程度なもの。これであれば、そこまでハードルは高くないだろう。しかも、プロレス好き芸人として知られる博多大吉さんもおすすめしているんだし、間違いない。

妻は確信を得た。「1.4東京ドーム、行って損なし」。

一致する心、愛

妻の提案を私がはねのけるはずはない。なぜなら私は妻を愛しているし、常によき理解者であろうと心がけているからだ。しかし今回の場合はそれだけが理由ではない。私も1.4には行ってみたいと思っていた。

イベントへ誘われたときは、感動すら覚えたことを今も記憶している。ふたりの気持ちがぴったり一緒になっているのだ。夫婦生活を営んでいて、こんなにうれしいことはない。

また、失念していたが11月の初旬に放映された「アメトーーク プロレス大好き芸人」の影響も大きい。ここでウィルオスプレイリコシェという希代のハイフライヤー対決の映像を目にし、私はかなり「試合が観たい」という気持ちが高まっていた。加えて、過去をさかのぼると「オードリーのオールナイトニッポン」にて、たびたび若林氏がプロレスにハマっているというトークを聞いていたのもあるだろう。そのほかにも、現在は「水曜日のダウンタウン」で類い希なるセンスをこれでもかと振るう藤井プロデューサーが、以前より獣神サンダーライガーを起用し続けていたこともひっかかりのひとつだったかもしれない。

とにかく、これまで散らばっていた「プロレス知りたい欲」が線で結ばれ、ついには結実した。そのタイミングというのが、妻からのお誘いだったのだ。

1.4「レッスルキングダム12」 in TOKYO DOME

慌ただしかった師走をなんとか乗り切ろうと古今奮闘する私の心には、常に1.4東京ドームが鎮座していた。「苦しい、辛い、でも、イッテンヨン」。この想いが、仕事のプレッシャーや疲れに押しつぶされそうになっていた私を鼓舞してくれていたように思う。

妻と一緒に何度か「有田と週刊プロレスと」も見返した。それまで私たちの興味は1〜2世代前の新日本プロレスエピソードにばかり向いていた。しかしこのときばかりはオカダ・カズチカ内藤哲也、そして棚橋弘至について語る有田氏の言葉に耳を傾け続けた。いかにレインメーカーショックが大きかったのか。内藤哲也がどのような想いで今年のドームメインイベントに臨むのか。棚橋弘至の功績がどれほどのものなのか。それらの断片については、ある程度理解できていたと思う。

そして迎えた当日。電車に乗り込んだ私たち夫婦は、いつもと変わらない普段着である。ちょっとだけリラックスできる格好と、荷物を少な目にすることを心がけただろうか。それ以外はとくに何の特別感もない。隣町の無印良品に買い物にいくような出で立ちである。

しかし、東京ドームの最寄り駅である「水道橋駅」に電車が近づくにつれ、様子がだんだんと変わってきたことに気づいた。ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(プロレスを知らない方向けに、あえてカタカナで書こう)のファンの数が、どんどん増えていくのである。なお、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとは、「制御不能なカリスマ」の異名を持つ内藤哲也を中心とした新日本プロレスのいちユニットである。黒字に赤、もしくは白で書かれたユニット名が特徴のグッズが大流行していることは「有田と週刊プロレスと」で予習済みであった。しかし、まさかここまでとは思っていなかった。

その驚きを胸に抱えながら東京ドームへと向かう。少し早く着きすぎたので、早めの夕食をフードコードで取ったのだが、そこにはすでに新日本プロレスのファンであろう人々の群。妻と二人で「すごいねー」と言い合いながら、時間は過ぎていった。

熱狂の東京ドーム

さて、ここで全試合の試合内容や私自身の感想を書くことはしない。そんなものは私よりも詳しく、かつ情熱を持って伝えているブログがほかにあるだろう。私はあくまでも、「なぜ新日本プロレスにはまったのか」を中心に書いていきたい。そこで、私たち夫婦の右隣に座っていた親子のエピソードをお伝えしよう。

親子はふたりで東京ドームに来ていた。40代の父親と、中学生くらいの男の子である。ふたりの試合観戦スタイルは非常にクールだった。たとえばケニー・オメガクリス・ジェリコの試合。前試合との転換時、トイレのため席を立った父親は、試合開始に間に合わなかった。そして自席へ戻ってくるなり息子に対して「どうなってる?」と質問。それに対して息子は「ジェリコが押してる」といった返答。それらの声には、ほとんど抑揚がなかった。それ以外の試合でも声援を送るでもなく、たまに「あれは極まってるね」「ああ、終わっちゃった」といったことをぽつりと漏らす程度だ。

しかし私は、彼らのやり取りに嫌悪感などは一切沸かなかった。テンションは低いものの、プロレスへの愛は感じる。きっと普段から親子でプロレス観戦をしたり、週プロを読んだりしているのだろう。熱量というのは、必ずしも表に出るものではない。内に秘めていたとしても、その温度が問題なのである。大切なのは、自分なりに目の前のエンターテインメントを楽しめるかどうか。それだけだ。

そうこうしているうちに、メインイベントであるIWGPヘビー級選手権試合「オカダ・カズチカVS内藤哲也」がはじまった。会場は大内藤コールである。私たち夫婦はふたりの間にあるストーリーについて、ある程度は理解はしているつもりだった。しかし、ここまで彼が観客の支持を集めているとは予想だにしなかった。やはり、現場に来てみないとわからないことというのは多いのである。

試合開始のゴングが鳴る。私も妻も声援を送り、技が入るごとに感嘆の声を漏らした。そしていよいよ試合も終盤に差し掛かり、内藤哲也の必殺技であるデスティーノ(スペイン語で運命の意)がオカダカズチカに炸裂。会場の盛り上がりに合わせ、私も自然と声が出る。しかし、隣の親子は冷静なものだ。これまでの試合同様に、クールな観戦スタイルで試合を見守っていた、はずだ。というのも、そのときの私はエキサイトしていて、周りのことなどほとんど目に入っていなかった。愛する妻がどのように観戦していたのかも、実は覚えていない。

だが、オカダ・カズチカが必殺技であるレインメーカー内藤哲也に見舞った瞬間である。私は頭を抱えた。これはさすがに、もう返せないだろうと。3カウントが決まり、オカダ・カズチカの勝利だろうと。そう思ったときに、隣から未だ声変わりをしていないハイトーンボイスが響いた。

「内藤、まだやれるって!」

このとき、私は確信をした。普段どんなに冷静沈着であろうとも、どんなにプロレスファン歴が長く試合慣れしていようとも、選手同士の本気のぶつかり合いを目の当たりにすれば、心の声は口から漏れ、拳は握られるのだ。「まだやれる」。クールに試合を観ていた少年の、内に秘めた熱意は東京ドームへと放たれた。そうした想いの集合体こそが、あの日、試合会場に溢れていた熱狂の正体なのである。

私は、プロレスが大好きになった。

新日本プロレスブームが来た、我が家に

その後、我が家は空前の新日ブームである。会話の半分以上に「内藤」「タナ」「ヒロム」「デスぺ」「鈴木みのる怖い」といった単語が飛び交っている。こんな長ったらしいブログまで書く始末である。お察しください。

そして言いたいのは、有田哲平様。あなたのおかげで、私たちの夫婦仲はさらに深まり、人生の質が急激に向上しました。本当にありがとうございます。そして同時に言いたいのは、あなたには責任があるということです。

私たちは、まだまだプロレスの歴史や、これからの新日本プロレスに対する考察など、知りたいことが山積みです。これまではあなたにたくさんのことを教えてもらえました。しかし、シーズン2が終了してからというもの、週刊プロレスを読んだり新日本プロレスのモバイル会員サイトを見たり、ワールドで過去の試合を見返したり、「2011年の棚橋弘至中邑真輔」を熟読したり、ミラノコレクションAT氏のTwitterをチェックしたりといった方法でしか情報を知り得ません。困ります! 困るんです! もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、あなたの口からプロレスの話を聞きたいんです!

ここまで私たち夫婦をプロレス漬けにしたあなたの罪は重いです! 責任を感じるのであれば、シーズン3、4、5、6、、、、、、、100まで、あの番組を続けてください!

ということを言いたいだけのブログでしたー。