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ポメラニアンアウトプッツ

ポメラを使っていろいろ書くブログ。だいたい愚痴

「動員の少ないバンドはライブするのを止めてもらえないだろうか」という海保氏の発言はただの炎上マーケティング

というタイトルを付けるとニュアンスが近いかな? と思い煽ってみた。今回の愚痴は以下のブログについて。

kntr.world-scape.net

海保氏が訴えている件を要約すると以下のようになる(と僕は理解した)。

  1. ライブハウスには運営や接客の面で問題がある
  2. これが改善しないのはアマチュアミュージシャンがノルマを払うから
  3. ノルマを払うバンドがいなくなれば質の低いライブハウスは潰れる
  4. 質の高いライブハウスが生き残り、質の高いバンドしか出演できなくなる

極論ではあるが悪くないと思った。だが、「?」もあったのでいくつか書いていこうと思う。

バンドを批判するのはどうなんだろう?

マーケティング的な視点で言えば、今回の切り口は非常に良い。あっぱれだ。海保氏の立場でこう言い切るのは波風が立ちやすくてすごくいい。もちろん、彼もそれを承知で発言しているのだろう。頭がいいなと思う。

だが同時に、やはりモヤモヤとした気持ちにならざるを得ないのは、批判の対象をバンドへと向かわせている点ではないだろうか? だって、バンドというのはライブハウスからしてみればお客さん。どうしてお金を払っている側が非難されなくてはならないのだろうと考えてしまう。と言うわけで、ちょっくらバンド側を擁護してみる。

「ライブハウス・サービス悪い問題」は当たり前

常々僕はこの問題について、どうしようもできないだろうと考えている。それは、バンド側が行うライブが、そもそもビジネスとして成り立っていないからだ。順を追って考えてみよう。

まず、根底にあるのはライブハウスのお客さんがバンドであるということ。ライブハウスは観客からのチケット代金を直接はもらわない。興行主であるバンドからもらうことになる。極論で言うと、商売相手がバンドなのだから、その観客に対してサービスを良くする必要がない。

ライブハウスがサービスレベルを上げざるを得ない状況とは、それはお客さんであるバンドからクレームを受けるか、よっぽど出演バンドが集まらなくて、他のライブハウスと差別化をしなくてはならない時だ。もちろん、これはあって然るべきことだと思う。ビジネス上当然だろう。

しかし、バンド側からクレームが出るということはほぼないと考えられる。これは、力関係が「バンド<ライブハウス」になっているからだ。「もっとキレイな箱だったら集客できるますよ」なんて、口が裂けても言えない。結果として、サービスレベルの向上は行われない。

では、どうしてこの力関係が逆転しないのだろう? それは、見出し冒頭で述べた「ライブがビジネスになっていないから」に他ならない。結局、ライブハウス側が想定するよりも高い売上をもたらすことができない以上、バンド側は何も言えないのだ。さらに、ライブハウス側の立ち位置としては「他にバンドはいくらでもいますからね」ということである。

本当に「他はいくらでもいる」のか?

僕としては、今回これを声大きめで訴えたい。前述のとおり、バンドはライブハウスよりも弱い立場にいる……ように見える。しかし、それがまったくの思い違いということだ。ライブハウスにとって、実は「他」はほとんどいない。

これはライブハウスビジネスを少し考えれば分かると思う。たとえば1組のバンドが毎月1回、イベントに出演してくれたとしよう。一回のノルマが2万円。それに加え、ライブハウスで打ち上げをしてもらえれば、4人組バンドの場合1500円の飲み代で1回6,000円。合計26,000円×12カ月なので、年間で31.2万円の売上だ。

そこまで業界に明るくないのでなんとも言えないが、小規模のライブハウスの年商なんて5,000万円くらいだろう。うち、1,500万円くらいはドリンク代かなと思う。あとは、人気バンドがワンマンをしてくれたりして、いつもより売上が多い日が月に何度かあったとして、それが500万円くらい。すると、残りが3,100万円。先ほどの31.2万円で割ると、つまりライブハウスの経営を支えるのは100組程度のバンドということになる。

これを多いととるか少ないととるかだが、圧倒的に前者であることは間違いない。だって、世の中のバンドの数なんてたかが知れている。これが1万組のバンドがあるのなら話は別だが、さすがにそんなのはあり得ない。

つまりだ。バンド側はもっとわがままになっても問題ないのだ。「あのもぎり、態度悪くて困ります」「今日のイベント、禁煙ににならないんですかね?」などなど。スタッフに対して伝えてしまえばいい。筋さえ通っている意見なら、それで呼ばれなくなるなんてことは、恐らくない。呼ばれなくなったとしても気にする必要はない。今は完全にバンドがライブハウスを選べる時代である。だって都内に700店舗くらいあるんでしょ? もっと待遇の良い箱に出演すればいいのだ。

7〜8割のライブハウスが閉店した後の現実

ここからはちょっと揚げ足取りになるが、海保氏の意見を否定しておく。まず、海保氏の言うとおり、バンドがライブをしなくなれば良いのか? という問題。「そこまで単純ではない」というのが僕の意見だ。そもそも、彼のロジックには矛盾がある。間違いがないよう、引用してみよう。

例えばチケットノルマ分も動員できないバンドが、来月から一斉にライブをやめた場合、どうなるか考えてみてほしい。

少なくともキャパ100〜300くらいの都内ライブハウスは、出演者が激減してスケジュールの7〜8割が空くことになるだろう。

中略

そして当然、ライブハウスが激減するということは、そこに出演できるバンドの数も激減する。

音楽的にも素晴らしく、集客もできる、レベルの高いバンドしかライブハウスに出演できなくなるのだ。

ここがそもそも間違っている。前提条件として、集客ができないバンドがライブをしなくなっているのだから、出演できるバンド数は激減しない。単純に、需要(バンド)と供給(ライブハウス)の割合が同じになるだけだ。

しかし、これまでの需要と供給のバランスは崩れる。現在は供給過多なわけだから、それが減ればライブハウス側は少なからず使用料の値上げを行う可能性もあるだろう。結果、ミュージシャンへ渡る売上が減ることが予想される。うーん、これはちょっと厳しい。

ちなみに、現実的に見ていくと、ライブハウスが減少すると同時に、必ず新規のライブハウスが参入してくる。多分、サービスレベルを落として、箱代を格安で提供するようなところだ。周りの箱の使用料が高騰すれば、格安ライブハウスは必ず儲かる。その後、今の状況に戻るような気がする。

集客・チケットノルマ問題について

さて、次にこの問題。海保氏が問題としているのは、以下の2点だ。

・集客についての努力をほとんどせず、出演するバンドの集客に全面的に頼っているという「ライブハウス・集客しろ問題」

・本来は協力関係にあるはずの出演するバンドからお金を取ることで、商売を成立させているという「ライブハウス・チケットノルマ問題」

この点については、持論として「そこまでライブハウスに求めるのかよ?」という想いがある。この「本来は協力関係にあるはず」という点が、そもそも間違っているのではないだろうか?

ライブハウスは確かにイベントを組んでいる。だが、平日のブッキングライブに関して言えば、これはイベントと言えるような代物ではない。そもそもインディーズミュージシャンを何組か集めただけで訴求力のあるイベントを打つのは無理がある。

結局のところ、イベントの訴求力とは出演者のラインナップでしかないだろう。ちょっと嗜好を凝らしたからと言って、覆せるものではない。多少、人が集まりそうな面白い企画があったとしても、それを毎日続けるの無理に等しい。そういうのは、せいぜい週に1回程度ではないだろうか?

つまり、イベントとは言いながらも実質はそれぞれのバンドの単独公演のようなものなのだ。だから、主催者はそれぞれのバンドなのだと僕は考える。この点を考えると、ライブハウス側にそもそも集客しろだのノルマを課すななどはお門違いなのではないだろうか。

もちろん、最低限の告知をしていないケースなども目立つので、それはそれでどうなの? とも思う。ライブ当日1カ月前なのに、ブッキングライブのメンツが揃っていないからまだ告知が出せないとか言うのは、集客の阻害以外の何物でもない。その点は改めるべきだ。

なので、この問題についてはどちらかというとイーブンなのだと思う。バンド側が自分たちの手で集客をすべきだと思うし、ライブハウス側はその足を引っ張らないように最低限のことだけに気をつけて入ればいいと思う。

海保氏の理想は無理だと思う

最後に、海保氏が語った理想についても考えてみる。

「今夜は暇だから駅前のライブハウスに寄ってってみようかな」というお客さんだって増えてくるはずだ(今は皆無と言っていい)。

これはねー、無理だと思う。だって、すでにライブハウスに行くこと自体がそこまで楽しいものじゃない。いや、それは少し語弊があるか。ライブハウスよりも楽しい娯楽が、世の中には多すぎるのだ。

ハッキリ言って、自分の趣味じゃないバンドのライブなんて苦痛でしかない。何も楽しくない。これがジャニーズとかAKBだったらショーとしてもっと楽しいけど、今どきバンドがただ演奏している光景なんて珍しくもなんともない。それくらい、もうバンドのライブというのは魅力的ではなくなってきている。

暇な人は家に帰ってYouTubeを見る。もしくはチケット代の2,000円をソシャゲに課金する。ちなみに僕の場合は、カラオケに言って自分の好きな曲を歌っているほうが100倍くらい楽しい。好きでもないバンドのライブなんて、その程度の価値しかないのだ。

もちろん、一定数「ライブが好き」という人口はいるだろう。しかしそうした属性の人は、すでにライブハウスに通っていると考えられる。つまり、新規顧客の開拓はもうほとんど無理に近いのだ。

その証拠に、ジャズバーなどで開かれているライブの集客の少なさがある。はっきり言って、ああいうところで演奏しているミュージシャンのレベルはそのへんのバンドより数段上だ。素晴らしさが何たるかの議論を端折ると、音楽的にも素晴らしい。しかし、「暇だからジャズバー行こうかな」とはならない。これは、すでにジャズファンという人数が決まっているからだろう。

むしろ、バンドのライブに通うような客の数を増やしているのは、数多いる集客のできないバンドなのではないか? とも思う。実際に僕の友人は、バイト先の人のライブを見に行き、その後ライブハウスに通うのが習慣になったようだ。彼女はこれまで、大きな規模のコンサートにしか行ったことがない。しかし、“バイト先の知人のライブ”というきっかけによって、ライブハウスへと足を踏み入れたのである。

結果として、誰も悪くない

「動員の少ないバンドはライブするのを止めてもらえないだろうか」という主張は、個人的に好きだし面白いとも思う。だがしかし、それが音楽業界を盛り上げるきっかけになるとはどうしても思えない。もちろん、海保氏も本当にそう思っているわけではないのだと思う。彼が訴えたいのは、それくらいライブハウスをはじめとした音楽シーンが袋小路にある、という警告だろう。そして、ダメライブハウスを淘汰したいという想いだ。

しかし、そもそも根本にあるのは、今回書いてきたとおり、ライブハウスという仕組みにあるように思う。だって、ライブハウスって所詮は「イベントスペース」なんだもの。もちろん、そこで働く人の熱意を否定するわけではないけれど、経営が必要な以上、それをねじ曲げることはできない誰が悪いとかではないんだろうなと思う。

最終的な提案

と言うわけで、だらだらと書いてしまったし何を言いたいのかもよく分からない感じになっているが、結局のところ問題なのは、音楽にお金を使う人が減ったっていう事実でしょうよ。「今はライブビジネスが盛んです!」なんてメディアは言うけど、それは違うレイヤーの話だし、そこにはもっと深い「レコードメーカー」という闇が潜んでいるので、どうしようもできない。

なので自分として言えるのは、「人気になるまでは、そもそも音楽でお金を稼ごうとするなよ」ということ。これがすべての諸悪だと思うんだよね。AbemaTVとか見てもらえば分かると思うが、まずは無料が基本なわけ。で、莫大なユーザーを集めてからマネタイズをするってのが今の時代の主流だと思う。つまり、はじめは無料でたくさんの人に「こんなコンテンツいかがですか?」って音楽を配って、そこで結果が出たらライブとかで収入を得るようにしましょうよ。結果が出なかったら、「このコンテンツではないんだな」と思って修正を加えていく。今はネットで簡単にたくさんの人にアピールできるんだから、それで良いのでは? と思う。

ちなみに、こういう話ってほんと音楽のクオリティとは関係ないよなって感じる。結局売れるミュージシャンなんて、自己プロデュースとマーケティングがうまいやつなんだよな。「音楽的に素晴らしい」とか、多分どうでもいいんだよ。あと、ことライブに関して言えばライブ映えする音楽性ってのがあるので、集客のみの観点で出演者が埋まっていくと、全員派手なロックやらパンクやら、精神異常しゃぶったシンガーソングライターやらになるんじゃないのとか思う。わかんねーけど。

電車で落とし物を拾ったら恥ずかしい思いをした話。

落とし物をよくする。これは完全に自分の過失であり、誰を責めることもできない。落とし物に気づいた時の自己嫌悪たるや、「本当にもうこの世に生きる価値が自分にはないのでは」と思うほどだ。

しかし、今のところほとんどの落とし物が自分の手元に戻ってきている。心優しい方が拾ってくれて、しかるべき場所に届けてくれるからだ。日本はネコババが少ないみたいな動画を見たことがあるが、ほんとにそう。そのたびに、人の優しさに触れ、多大な感謝の念を抱くのである。

そして同時に……


「自分も落とし物を見つけたら、絶対に届けるようにしよう」


と考える。

自分のことを棚にあげると、これはなんてポジティブな連鎖だろう。誰かが誰かの落とし物を拾って届ける。落とし物が持ち主の元へ帰る。持ち主は感謝をし、自分も正しくあろうと考える。これこそまさに、モラルの起源ではないだろうか。

しかし、数ヶ月前にこの“善のループ”を阻害するような出来事が自分に起こった。酒の席で友人に上手に伝えられるよう、ブログに書いておこうと思う。

電車で見つけた落とし物

自分の住まいは武蔵小杉付近。普段は東横線を利用し、出社・帰宅をしている。その日は少し早めに帰宅ができた。だいたい19時くらいだったと思う。この時間帯はそこそこ混むのだが、この日は幸運なことに座れた。

事件の発端は自由が丘駅で起こる。自分の左斜め向かいに座っている推定20代の男性が席を立ち、下車した時だ。彼の座席に、B5サイズくらいの紙袋が置きざりにされた。厚みはそこまでない、平べったい形状だ。自分がそのことに気づいたのは、すでに電車が駅から出発したタイミングだったので、残念ながら声をかけることは叶わなかった。
この時の僕の気持ちとしては「きっと向かいの座席に座っている誰かが、忘れ物として届けてくれるだろう」ということ。これまでの自分の体験から、そうなるだろうと疑わなかったのだ。

しかし、何度停車しても、一向にその紙袋へ手を伸ばす人が現れない。もっとも近くに腰を下ろしているサラリーマンも完全に無視を決め込み(いや、本当に気づかなかったのかもしれないけど)、拾う気配が感じられない。


「仕方のないことかもしれないけど、なんだか悲しいな……」


そんなふうに思っていた。

結局、紙袋は僕の住む武蔵小杉駅まで誰にも拾われることなく、ぽつんと置き去りにされていた。こうなるともう、自分が拾うしかないだろうと考える。端から見ると、まるで僕がネコババをするみたいだ。しかし、そんなことは関係がない。もしこの落とし物が「自由が丘に住む彼」にとって大切なものだったとした、それを拾得物として届けるのは善行だ。自分が少しだけ恥ずかしい思いをしたとしても、この行動には大義名分がある。何より僕は決めていた。

 

落とし物を見つけたら届けなくてはいけない。それが、これまでに自分が受けた恩を返すことなのだから

 

スマートかつ何気ない動作で紙袋を拾い上げた僕は、当然のような顔をして下車する。胸の奥には確かな志を持ち、誰になんと思われようと気にはしない。絶対的に正しいことをしているのだ自分は。手に取った紙袋は、とても軽かった。

拾得物届け出

電車から降りた僕は、一目散に改札へと向かう。早くこの落とし物を届けなくてはならないからだ。もしかすると、「自由が丘の彼」は下車してからすぐに東急電鉄の落とし物センターへ問い合わせをしているかもしれない。そしてその際、まだ届け出がないと伝えられ、途方に暮れているかもしれない。自分にも経験がある。30分おきに落とし物センターへ問い合わせをして、届け出がないかを何度も確認する作業。「ありました」と言われるまでは、ずっと胸がざわつくのだ。そして、「次に問い合わせしてなかったら諦めよう」と考えながら、スマホを握りしめる。いても立ってもいられない心境――それを思うと、自然と歩調が早まった。

改札口には若い女性の職員が他の乗客の対応をしていた。僕はその対応が終わるのを待ち、自分の番が来ると彼女にこう伝えた。

 

「すいません、電車内に忘れ物がありました」

 

紙袋を彼女に差し出す。

 

「ご協力、ありがとうございます。どこに落ちていましたか?」

 

「座席の上に置かれていました。たぶん持ち主は、自由が丘駅で降りていったと思います」

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

職員の女性は笑顔で紙袋を受け取った。
そしておもむろに、中身を確認する。

 

 

 

 

 

AVだった。

 

 

 

 

きっと、彼の元には帰らないAV

「すいません! 電車内にAVを落としたんです! 大切なものなんです! 届け出はありませんか!」

そんな問い合わせをする男はいない。きっと、このAVは、しばらく東急電鉄の落とし物センターに保管された後、処分される。彼の元には、帰らない。

冒頭に書いた“善のループ”であるが、こんな体験をすると、なんだかもうどうでもよくなってくる。いや、やったこと自体は正しいことだったんだけど、すっごく恥ずかしかった。もしかすると、あの女の子の職員さんに


「こいつは若い女性に“落とし物”という体でいやらしいモノを見せつけてその反応を楽しむ変態だ」


と思われたかもしれない。いや、そんなことないとは思うけど、可能性は否定はできない。恥ずかしい!!!!!

もうこうなると、ちょっとだけあの「自由が丘野郎」に恨みの感情まで出てくる。

今時、AVをディスクで買うってことはネットとかPCとかに疎いやつなんだろう。厳選に厳選を重ねて買ったはずだ。だって、DVDで買うときってインフォメーションはパッケージ裏くらいしかないもんな! すごい時間と手間をかけたはずだよ!

そのほかの可能性として、忘年会とかでネタとして当選してもらったのかもしれないけどさ! それでも「おいおいやめてくれよ〜」とか言いながら、家でしっかり“使おう”と思っていたんだろ? だったらもっと大切にしなよ! 大切なものだよ、男にとっては!

 

というわけで、男性諸君には今回のような悲劇を繰り返さないためにも、以下を徹底していただきたい。

  • AVを含むアダルト関連商品を持って移動する時は気を引き締める
  • いかがわしい物を購入する場合は通販、もしくは近所に限定する
  • 大切なものは絶対に守り抜くメンタルを持つ

 

帰宅後、このことを妻に伝えたら「いい落語だね」と褒めてもらえた。

ライブ中に中村一義をディスり出したブスの話

先日、中村一義のライブ『エドガワQ2017~ERA最構築~』に言ったときの話。この日はERAという彼のアルバムを再現(名目上は再構築)するという趣向があり、収録曲順に演奏が進むというものだった。

ERA

高校卒業したての頃、後追いではあったが相当このアルバムを聞き込んでいた僕は、長いことこのライブを楽しみにしており、実際に当日もかなり感動しながらステージを見ていた。

ただ、そもそも中村一義の楽曲の中にはライブでの再現を考慮していないものも多く、正直演奏や歌唱に無理がある点も目立った。ただ、そのあたりはファンなので、脳内保管しながら耳を傾けることでカバー可能。きっと自分以外の客も、そういう温かな気持ちで見守っていたに違いないと思う。ちなみに、この日は中村一義の誕生日。昔ながらのファンが集まり、みんなで彼を祝福しようといった趣もあったわけだ。

ライブは2部構成となっていた。前半はERAの再現ライブ。後半は新旧織り交ぜたセットリストが披露された。事件が起こったのは、この第一部のあとに設けられた休憩中だ。

バカ女の声が聞こえる

「見た目が生理的に無理なんだよね〜」

第一部終了後、僕のいた座席の真後ろから、酒やけしたような女の声が聞こえた。

「なんか、曲は超かっこいいのに、見た目がダサいんだよね」

どうやら中村一義のことを言っているらしい。もう少し耳を傾けると、どうやら彼のファッションがお気に召さないよう。

「見た目と曲のギャップがすごくて、目を閉じたまま聴いてたい感じ」

大人げない話ではあるが、正直ここで僕はなかなか腹が立っていた。別にライブを見て何を思おうが人の勝手である。彼女がどんな感想を持とうが、それに対してどうこう言える立場ではない。彼女だって、同じチケット料金を払って会場に来ている。権利は平等なのだ。しかし、わざわざ中村一義ディスるような発言をするべきではない。

この会場にいるほとんどは、昔からの中村一義ファンだ。そもそも、10年以上前に発売されたアルバムの再現ライブに来ているんだもの。古参ファンが多いに決まっている。その会場で、ファンの前で、ネガティブな発言をするべきではない。

正直「おい、うるさいよ」とひとこと言ってやりたかった。ただ、その後第二部がはじまる前に、後ろの客と関係を悪化させるのは得策でないと考えた。この後のステージも自分は楽しみたい。だってファンにとってはプレミアムなライブだし、貴重な休日を使ってお金も払って来ているのである。こんなクソ女のせいで気分を台無しにしたくない。

そんなことを考えていた矢先、どうやら連れの男がこんなことを言い始める。

「でも曲はいいでしょ? オレ、高校生の時にかなり聴いてたんだよね。懐かしいわ」

おお、なんて哀れな男だ。お前は完全に女選びを失敗しているよ。だってそうだろ? お前はきっと高校生の頃に中村一義にハマっていて、ということは結構友達がいないタイプだったに違いない。だって、中村一義を好きなやつって結構クラスで隅っこに追いやられるタイプが多いもの(完全なる決めつけ)。そんな暗い高校時代を支えてくれたのが、中村一義でありERAだったはずだ。そうした想いを持ったまま大人になって、今回のライブのことを知って、はやる気持ちを抑えながらチケットを取ったんだろ? だってこの席は先行抽選販売でしかとれない前から13列目だ。場所だってすごいいい。今思い出したけど、開演待ちの時に「いい席じゃん」って聞こえてきたのは、お前の声だったんだよな?

そんなお前の気持ちを、そのとなりの酒やけ女は踏みにじった。いともたやすく。あまりに浅はかな感想でだ。特に気になるのは「曲は超かっこいい」という発言についてだ。いいか、どんなに贔屓目に見ても、ライブでの中村一義は正直そこまで良くない。しかしそれは、楽曲の問題が大きい。そもそも再現性を考えて作られていないからだ。だから、おそらく初見のお前が理解できるようなものじゃないんだ。なのに「曲は超かっこいい」というのは、気を遣った上でのおせじか、もしくはお前がよっぽどいい音楽を知らないかのどちらかだ。

そんなことを考えていると、男が今度は信じられない言葉を発した。

「でもアレだよね。今聴いてみると、ダサカッコイイ感じかも。もしも今の時代にこのアルバム出てても、オレ聴かないかもな」

 

 

ダサッ!!!!!!!!!
くっそダセーなお前!!!

 

 

ちょっと女にディスられたくらいで、自分の大切なもん覆してるんじゃねえよ。バカか。そうじゃないだろ? 本当は傷ついたんだろ? そのことを素直に認めろよ。そのアバズレに合わせるなよ。今聴いてもかっこいいだろ。今リリースされたとしても買うだろ。言っておくが、ERAは誰もが認める名盤だ。古いとか新しいとかない普遍性を持った作品だ。誰が何と言おうと、それは揺るがない。そのことをわからないお前じゃないだろ?

このとき、僕はなんだか腹立たしさと虚しさと悲しさで胸が苦しかった。音楽は、いろいろな意味で無敵だと思っていたけど、女に気に入られたい程度でその評価が覆される程度のもののようだ。いや、自分にとってはまったくそうではないけど、少なくとも後ろに座っているこの男にとってはその程度のものらしい。

あまりにつらくなった僕は、もうムシャクシャしたのでこのクソカップルの顔だけでも拝んでやろうと思い振り返った。遙か後方の席を確認するような素振りで。

女はメッシュみたいなのが入ったショートカットで、目元のアイシャドウが青く、全体的にダークな色使いの服装をした20代だった。

ちなみに、ブスだ。

こういう格好をしていいのは、スタイルが良い美人でないと決まらない。だが、ブスだ。水沢アリー崩れの顔面だ。中村一義をディスられて怒っていたのも1割程度あるが、それを抜きにしたとしてもブスだ。このブスのために、隣の男は自分のアイデンティティを自ら犯したのだ。

ライブ会場での作法

クソ女がブスであったことは、なんだか心を落ち着かせる鎮静剤になったようだ。ブスが何な言ってら、と思えば、たいていのことは腹が立たないのである。一方、そこそこの美人であれば余計に腹が立つものである。何不自由なく暮らしておいて、貴様に何がわかる! このメンタルブスが! という気概である。しかし顔面ブスの心が汚れてしまうのは仕方がない。いろいろ辛いことがこれまでにあったに違いないと、勝手に思うようにしている。だからもう、今回のことは水に流そうと思った。

しかし、やっぱり口は災いの元だ。前述もしているが、わざわざ中村一義ファンの巣窟であるライブイベントで、悪口を近くの人が聞こえるボリュームで言い放ってはいけない。誰もが安くないチケット代を払ってきている。そしてその料金とは、楽しいひとときを楽しむための対価だ。その権利を奪うことは、何人たりとも許されない。たとえブスが、自分で金を払ってライブに来ていたとしてもだ。

ちなみに、一連の中村一義ディスリが終わった後、女はこんなことを言い出した。

「最近あたしテクノばっかり聴いているんだよね」

だろうな。中村一義知らないくらいだもの。他のジャンル聴いているだろうさ。

tofubeatsとか」

 

オマエゼッタイテクノキイテナイダロ!!!!!!!

 

音楽のジャンルもまともに分からん女に自分の好きなアーティストをバカにされ、せっかく楽しかったはずの一日にシコリが残ったという話でした。